あぁ、これは夢だ。


漠然と浮かんだ思考に何の疑問も浮かばなかった。









気がつけば見覚えのない場に立ち尽くしていた。
穏やかな風に吹かれてまるで歌っているかのように擦れる草の音を聞きながら、目の前の全てを飲み込んでいくかの如く沈んでいく紅い太陽を見つめながら。


一人、一護は立っていた。


そして、唐突に気がついた。



これは夢なのだと。



なんの根拠も、確信できるものも存在しない、何故そう思ったのかもわからない。

それでも思うのだ――――自分は夢の中にいるのだと。


そして足は自然と動き出す。
どこへ行くのか、一護自身もわからぬまま。



























どれくらい歩いただろうか。
周りを見渡しても、一向に景色は変わらなかった。


どこまでも広がる草原、思い出したかのようにぽつぽつと生えた木々。

それでも不安など微塵も感じることなく、一護は足の動くまま、進み続けていた。






そして、唐突に視界が開けた。






まるで、忘れ去られたように草木がない空間。

そして、ひっそりと佇む小さな石の塊り。




その、場を纏うある種独特の雰囲気に一護は見覚えがあった。






そして理解する。





これは、墓なのだと。





名も知らない誰かが、確かにそこに存在していたという証。


それを一切の微動だもせず、一護はただ見つめていた。






「…珍しいな、迷子か?」



不意にそれまで保たれていた静寂が破られる。

一護は殊更ゆっくりと視線を横に仰いだ。




そして目を見開く。

相手も一護の顔を見て瞠目していた。





そこにいたのは精悍な顔付きを持った青年。
一護よりも背丈が高く、年も上だと伺える。
首元で若干長く伸びた黒髪が踊るように風で揺れていた。
長く伸びた下睫毛と強い意思の宿った瞳がひどく印象的で。




何より


その顔はひどく一護に酷似していた。





「…あんたは…」


呆然と一護が言葉を紡いだのを切欠に青年の目元が和らいだ。

「そうか…」

口元には笑み。


「お前が黒崎一護だな?」


確認の声色は楽しそうに震えていた。


「…あんた…海燕さん…か…?」



今は亡き護廷十三隊、十三番隊副隊長――――――志波海燕がそこにはいた。






「いやー、誰が迷い込んだのかと心配になって様子に見に来たんだけど、まさかお前だったとはなぁー。つくづく縁てのは不思議なもんだ」
「迷い込んだ…?」


カラカラと陽気に笑う海燕の言葉に引っ掛かりを覚え、一護は眉を顰める。

「そ。夢ってのは繋がってる。それが生者であれ、死者であれ…。お前みたいに力が強いヤツは尚更、な。つっても生者が死者の境夢にくるのは良くないんだけどなぁ」
「境夢…」
「夢渡りっつった方がわかりやすいかもな。普通は早々これるもんじゃねぇんだが…お前と俺はよっぽど縁が強いらしい」
「つっても俺、あんたとは初対面だし…」


もっとも、相手は既に黄泉の世界の住人なので初対面というのもおかしな話だが。


訝る一護とは裏腹に海燕の目は穏やかだった。
不意に、自分に兄がいればこんな表情をされるのかと一護は思う。



「縁ってのは目に見えねぇ実態のないもんだ。だから当人が知らず知らずの内に何時の間にか繋がってることもある。例えそれが記憶に残っていなくても、な。」



そういう海燕の顔は確かに年を重ねた年長者のもので。
一護は今更ながら自分と彼の生きてきた年月の差を知る。



「きっと、俺とお前には気づかない縁が確かに存在するんだろう。こうして同じような顔の造りまでしてるんだしな」




快活に笑うその姿に、一護は前に彼のかつての上司である十三番隊隊長、浮竹十四郎の言葉を思い出した。





『君は海燕と良く似ているな…顔もそうだが、その志と云い行動と云い…あいつも奔放な性格と実直な心根の持ち主だった』





その時の浮竹は過ぎ去った昔を懐かしみ、かつ、微かな憂いを浮かべていた。



その様相から志波海燕という存在がどれほど大きいものだったのかが伺える。




「…あんたが色んな人に思われる理由…何となくだけどわかった気がする」




残された彼の家族も、かつての同胞たちも、この志波海燕という人物がかけがえのない存在だったのだと。




そう言って笑う一護に海燕は微かに目を見開き、そして朗らかに笑いを漏らした。




「…と。そろそろ時間だな」


不意に海燕が空を仰ぐ。
つられて一護も上を見上げれば、何時の間にかそこには闇が広がっていた。


(っ、何だ…?)

そのともすれば全てを飲み込みそうな色合いに、一護は底知れない何かを感じ内心狼狽えていた。




「言ったろ?生者が死者の境夢にくるのは良くないって。力が強いとはいえ何時までもここに留まっているのはさすがにまずいからな」



言いながら海燕は一護の傍に歩み寄り、その1歩手前で足を止める。
そして一護が歩いてきた道を海燕の指先が指し示せば、まるで意思を宿したかのように草が倒れ、木々が道を開ける。
そして出来た一本の道は微かに灯る光で輝いていた。



「この道を真っ直ぐ進めば、戻れるはずだ。くれぐれも寄り道すんじゃねぇぞ」

そして一護の頭に手を置き、ぐしゃぐしゃと掻き回す。

「ちょ…!!やめろって!!」

思わず上がった非難の声に海燕はやはり快活に笑うと、身体を離し、一護に示した道とは逆方向に歩き出す。


「海燕さん」
「朽木や隊長によろしくな。…お前とはまた会えそうな気がするよ」



別れの言葉と人好きのする笑みを残し、海燕の姿は闇に溶けていった。

それを見送った後、一護もまた己の戻るべき場所に向けて一歩足を踏み出した。


















「…………あ?……」



気づけば一護の身体は寝台の上に横たわっていた。
ゆっくりと身を起こし、辺りを見渡す。
そして、自分が今、四番隊の救護詰所に厄介になっていたことを思い出した。

証拠に、一護の腹部には包帯がきつく巻かれ、身に纏う衣服も清潔さを伺わせる白い患者着だ。
傷自体はすでに癒えかけているものの、本調子ではない身体が些か重く感じられた。


不意に、夢の中での会話が思い出される。












―――夢は繋がっている。生者であれ、死者であれ――――












どうやら、夢で会った人物の言葉は確かだったらしい。
自分は死の一歩手前までいく深手を負っていた。
稀な力をもつ仲間のおかげで大事には至らなかったが、下手をしたら確実に死んでいただろう。






「…確かに、俺とあんたには縁があるのかもな」



今は塞がっている傷口を撫でながら、一護は苦笑した。


本調子に戻ったら、彼のところへお礼参りでも行こうか。


室内には淡い朝日が一護の身体を優しく照らしていた。