ざくり、とブーツが土を踏む音が響く。
乾いた風が紫がかった銀髪をさらっていった。


けれど、それだけだ。


戦火の後を彷徨うように歩く歌姫には、何の感慨も齎さない。
彼女はただ、無念のうちに亡くなった魂たちを自らの葬送曲で送るだけだ。
――その往き先が無機質なランタンの中であっても、彼女は疑問に思わない。思えない。


何故なら、今の彼女は心が欠けているから。
思考は停止し、感情は凍りついた。
故に何も感じない。
感じる「行為」自体を行う事が出来ないのだから。


だから、彼女は分からない。


己の頬を細く伝う雫の意味など、思いつく訳がないのだ―――。
















”―――どうして”


暗い、昏い闇の底で、ローゼリンデは自らの身体を抱き締めるようにして蹲っていた。
ほろほろと音も無く涙がその白い頬を滑り落ちていく。
けれど、もうそれを拭う気力すらなかった。


何故なら、今のローゼリンデは心だけの存在だから。
幾ら望んでもその思いが現実の肉体へ届く事はない。
抜け殻の身体が行う非道とも言える行為を止めさせたいと念じても、決して叶わないのだ。


”もう、やめて―――”


か細い悲鳴が闇の中、弱々しく響く。
だが、それだけだ。


決して心が望まぬ行為を、虚ろな肉体はし続ける。
まるで命令された事をひたすら実行し続けるだけの機械のように。
それは最早、ただ息をしているだけの”屍”同然だった。


”誰か―――”


どうか自分を止めて欲しい。
いっそこの命を絶ってくれても構わないから――!!


ぱたり、とまた雫が滑り落ちた。





その時だった。
”声”が届いたのは。



『ローゼリンデ!!』



ハッ、とローゼリンデは瞳を見開く。
それはつい最近まで、身近に聞いていた声音だった。
本来なら戦巫女である自身が何よりも守護すべき相手。
だが、巫女としての生き方しか知らなかった己に彼は笑いながら告げた。


主従のような関係を結ぶのではなく、友になって欲しい、と。



『ローゼリンデ…!!俺だ、レイジだ!!』

”レイジ―――!!”


最後に彼の姿を見たのは、帝国の兵たちに追い詰められ奈落のような昏い海の底にその身体が突き落とされた瞬間だった。
手を伸ばしてすぐに彼の元へ駆け出したかったのに、自分は敵将に捕らえられ何も出来ず。


今もそうだ。
心はすぐにでも彼の傍へ行く事を望んでいるのに、肉体はまるで正反対な行動を取る。


優しい彼に槍を向け、傷を負わせるなんて――!!


『ローゼリンデ!!俺が分からないのか…?!!』
”レイジ!!止めて!彼を…私の友達を傷つけないで!!”


四方に張り巡らされた不可視の壁を必死で叩く。
罪無き魂たちをこれ以上束縛する事も、自分を「友」だと微笑みながら告げてくれた大切な人を傷つける事も嫌だった。


”レイジ、レイジ…!!”


また頬を雫が伝っていく。
いっそ涙が川となり、この心だけでも彼の元へ流れ着いてくれればいいのに―――!!


半ば本気でそう思っていたローゼリンデの耳に、再び彼の”声”が響いた。


『聞いてくれ、ローゼリンデ……今は何も感じなくてもいい。けど、覚えておいて欲しい』

”レイジ…?”


苦渋に満ちながらも、確かな決意が込められた声音。
呆然と、それでも一言も聞き漏らさぬようローゼリンデは必死にレイジの発する声に耳を傾ける。


『必ず…必ず俺が、お前をそこから連れ出してやる!!必ずだ!!』
『望まない事を無理矢理やらされているお前を連れ出してやるから…!!』
”―――っ…!!”



ああ、そうだ。
あの時も――追い詰められながらも、彼はこちらに向かって必死に手を伸ばそうとしてくれた。
今も、心の欠けた身体に向かってその手を差し伸べてくれている。


”レイジ…!!”



声は、確かに届いた。



闇に囚われた自分の心へと、確かに届いたのだ。
そして己の声もまた、彼の元へと届いている。
それは暗闇に差す一条の光のようだった。


その光を、ローゼリンデは必死で抱え込む。
それだけが、今の自分の唯一の寄る辺であるかのように。


”レイジ…ありがとう…っ”


本当は、こんな愚かな自分が誰かに頼る事など許されないと分かっているけれど。
それでも、この光だけは手放したくない。


闇の中、ただ暖かな言葉だけを胸にローゼリンデは声もなく泣いていた。