薄暗い灰色の幕から零れ落ちてくる雫に笹川了平は傘を差しながら辟易していた。
今日は朝から生憎の雨模様で日課であるトレーニングを断念したせいもあってか、些か気分も沈んでいる。
いっそ雨の中を走ろうかとも思ったが、心配性な妹の事と尊敬する師である迷彩服を着こなす赤ん坊に身体のケアについて耳にタコが出来るほど話を受けた事を思い出し、こうして大人しく登校していた。
最もいつもの癖で早くに目が覚めてしまい、学校に行くにしては大分早い時間帯ではあるのだが。
やはり自分には青々とした空の方が性に合っている。
そんな結論が胸中で出た時、了平の視界にあるものが飛び込んできた。
「…ん?」
所々特徴的に飛び跳ねた髪型、平均より低い身長、そして自分と同じ並中の制服。
「あれは…」
まさか。
懐疑的な声を上げながらも、直感で得た確信を抱いた了平は迷わずその人影に向かって駆け出した。
「…で、それで何でここに連れて来るわけ?」
応接室に備えられた上質な椅子に腰掛け、腕組をしながら雲雀恭弥はいかにも不機嫌を滲ませた声を上げた。
その眼前には了平とずぶ濡れになった少年が一人。
了平は少年の濡れた髪をガシガシと、それでいて余すことなく拭いてやりながら、雲雀の疑問に答えた。
「仕方なかろう。距離的に家に戻すより学校に向かった方が早かったのだからな。無闇に時間をかけて風邪を引かすわけにもいくまい?」
「それは分かるさ。僕が聞きたいのは何でこの応接室に来たのかって事だよ」
「…単に保健室に連れて行ってどうにかなる様子ではなかったのでな」
そう言いながら了平は目の前の少年―――沢田綱吉に向き直った。
了平が偶然にも見かけた姿は何を隠そう、この綱吉だったのだ。
何故か綱吉はこの雨の中、傘も差さずにどこか覚束無い足取りで歩いていた。
その様子に本能的に何かあった事を悟った了平は有無を言わさずその手を取り、この応接室に駆け込んだのだった。
いつもはその表情を百面相させながらキレのある切り返しを言葉にする綱吉がまるで無言であった事に訝しみながら。
今も綱吉はまるで感情を忘れたかのように無表情でいた。
その人形めいた何も映していない瞳がいやに透明なように思えて、了平は背に氷塊が落ちたかのように薄ら寒いような何とも言えない気分を覚える。
おそらく同じ思いを抱いたのだろう、軽く息を吐きながら雲雀は一応纏っていた不穏な空気を一部消しながらも了平に追求していく。
「あの忠犬や野球馬鹿はどうしたのさ」
「知らん。少なくともあの周りにはいなかった。…というか沢田がその事でいやに頑なでな」
その答えに雲雀は思わず肩眉を跳ね上げる。
「何?原因はあの二人なわけ?」
「さあな…ただ、あの二人がこんな状態の沢田を一人にしている時点でおかしいものではある」
雲雀の言った二人の人物―――獄寺隼人と山本武は綱吉と常に行動を共にする間柄である。
二人が綱吉に寄せる情愛の深さを考えれば、今の綱吉の置かれている状況の異様さが伺えるというもの。
「俺は口が達者な方ではない。埒が明かん問答を続けるよりは誰か別の者に任せた方が早いと思ったのだ」
「…それで何で僕なのさ」
「沢田の事情を詳しく知っていて、獄寺たち以外の誰かと考えたらお前しか浮かばなかった。少なくとも俺よりは弁が立つと思ったのだが違うのか?」
さらっと言ってのけた了平に雲雀は半目になる
そもそも雲雀の本質は群れを嫌い、孤高を自ら好むものだ。
弁が立つ以前に自分から関わろうとする気構え自体が早々浮かぶ事もない。
かと言って今の状態の綱吉をそのまま放り出すのも些か寝覚めが悪い。
…八方塞がりだ。
「―――えぇい!やはりまどろっこしいのは好かん!!!!」
一応どうしたものかと雲雀が考え込んでいると、突然了平が大声を上げる。
そして終始無言無表情な綱吉の肩を掴むと、強引に目線を合わせた。
「沢田」
行動とは裏腹に了平から発せられた声音はとても優しい響きを含んでいた。
「俺や雲雀はお前の対して獄寺たちほど気安い仲ではない。お前の期待にそぐう答えをかけてやれるかは分からん。…だがむしろ俺や雲雀だからこそ聞いてやれる事もあるかもしれん。このまま溜め込むくらいならいっそ俺たちに全て話してしまえ!!」
そう言って了平は綱吉の頭をクシャクシャと掻き回した後、普段見せるより幾分柔らかさを含んだ笑みを浮かべた。
それを見聞きしていた綱吉の瞳が、揺れる。
そんな綱吉の様子を認め、雲雀も一つの妥協案を出した。
「沢田のクラスには通達を出しておくから気が済むまでここに居ればいい。…後で草壁辺りに茶請けを持ってこさせよう」
そう言った雲雀の顔には普段見せない笑みがうっすらと浮かんでいた。
「あぁ、特別に笹川もね」
「ん?そうか、すまんな!!」
そんな先輩二人の様相に綱吉が詰めていた息を細く吐いた。
顔を覗けば、先ほどよりはぎこちないながらも申し訳なさそうな、それでいて幾分ほっとしたような表情がある。
「ありがとう…ございます…」
小さいながらもしっかりと言葉として聞く今日初めての綱吉の声に、了平も雲雀も内心で安堵を零した。